青いワンピースの女 アンケートより

 公演後にいただいたアンケートの中から、御感想の一部を掲載させていただきました。

 母親、台所、永遠と続くかのような三度の食事。たんたんと続き、その流れから ぬけだせない。
 井戸の底の水は、自分から太陽をあおぐことができない。 
 水は一滴一滴も水で、それが合わさっても水で、途中、←この辺りから、水と前者の女の人が同化したようで、女の人が、水が水へまざり消えてゆくように、女の人が 自分の消えてゆく先を見てしまった。 その時に、そのゆき先への恐怖心と安らぎににたものを感じた。
(Safaさん)

 こんな時期ですので怪談を一つ。
 夏の暑い盛り、その女は昼飯後にうたた寝をしていました。
 蒸す天候のせいか悪夢をみてしまい、気付いたらちゃぶ台に載っていました。形而上的な内容だったのでしょう、ぐにゃ×2した動きで床を延々とはい、中々覚めそうにありません。

 由さん、頑張ってましたね。赤い布を「意志」をもって引っ張ったのが解せません。他はみんあ無意志的な動きだったので。

 音響:自然音ではなかったのですね、一人の女の心象風景としては随分荒涼としてるような…。(pranaliaさん)

 明るくなった瞬間、ちゃぶ台の登場にドギモを抜かれました。真上からのライティングが作る陰影がソリッドでカッコヨカッタデス。
 後半の紅い布も強いライティングに映えてました。
 ダンスは時間が経つにつれてどんどんムキムキしてました。えぇムキムキしてました。分かりづらい表現で恐縮ですが・・・ 
(goodsmellbabyさん) ▲ページ先頭へ

 赤い布の中にいる時、とらわれたモノ、そして人形みたいでおもしろかった。とても切なくなった。(ナナクモさん - 一部抜粋)

 初めて見たのでよく分からなかったけれど、見ているうちに、動きにひきこまれた。体があんなに色々な動きや表現ができるとは知らなかった。立ち上がるところが印象的だった。(Yさん)

 初めての体験で、どう言葉に表現していいかわからない。どう表現していいかわからないけど、疲れるほど感動した。今後を期待します。 (Kさん)

 木村由のソロ公演を見るのは二回目になる。結論から言えば、今回の公演は木村由の実力が十二分に発揮された舞台となった。木の台の上に乗った青いワンピースを着た木村由の表情は自信が感じられ、舞台が進むにつれ、その世界に陶酔していくその表情は三十代になった木村由でしかだせられない魅力に満ち溢れていた。日常的な木の台やワンピースを使いながらも蟲の世界独特の世界を表現したのは、とても新鮮に感じられ、音を必要以下に少なくした舞台の中で動きも無駄を排除し、肉体の極限に向かって踊るその姿は、青いワンピースを着たその女性、人間性が垣間見られ、何かを問いただされている様に感じられた。これが木村由が現在求めている世界ではないだろうか。(故意なのか?)木の台が縦に立ち、そこに向かって座る青いワンピースの女はとても印象深く心に焼きついた。

 ひとつだけ残念なのは、モラルの無い一部の観客のために世界が何度も途切れかかってしまった事。その辺で聞き流せるような音楽のライヴならともかく、集中して見なければならない舞台、特に今回の様な音が少ない世界では、公演中の出入りは規制しないてはいけないのではないか?
(松永 歩さん)

 「青いワンピースの女」というより「青装束の女」の方がピッタリ。青いワンピースの女は恐山の「イタコ」のうまれかわりか?茶ぶ台と赤い布でとりあわせはとてもおもしろかったが、(特に茶ぶ台の上の動きはおもしろかった)布のところへいってからがもう少し高さをもって踊ってほしかった。腹筋力のあるイモムシのイメージがあった。おもしろい動きもそれだけではよさが伝わらない。ダンスにおけるコントラスト、起承転結をもう少し意識してはどうか?
「青いワンピースの女」は風にふかれはしないのだろうか?
(Mさん) ▲ページ先頭へ

 とても綺麗なダンスだったと思います。とくに前半の、ちゃぶ台の上での踊りは、はっとするほど綺麗だったし、題の「青いワンピースの女」と象徴的に繋がった踊りだったと思います。
 ちゃぶ台の上に仰向けに大の字になって寝ている姿勢から、上体と下半身とをぐっと引きつけつつ体を起こしながら、手を大きく天に向かって広げていく動き。そしてそのあと、ちゃぶ台の上に横座りになって観客の方に向かって体を大きくねじる動き。女性が、天の精気をおのれの胎内にとり入れて、その新しい命を宿したと告げているような動きに思えました。しかもこの一連の動きを、ちゃぶ台の上で少しずつ体を回転させながらゆっくり繰り返す動き。いつもよりは体の動きが少し速くて常に動いていながら流れるような動きになっているのですが、同じ動きをゆっくりと少しずつ回転させながら繰り返していくと、速いと感じるよりは、季節の移りかわりのような同じことの繰り返しをしながらも、時がゆったりと流れていくような感じがして、自分の体も心も、そのゆったりとした時の流れに同調していることを感じさせてくれました。連綿とつながる生命の営みのサイクルとでも言いましょうか。
 しかも一灯のライトの光が、踊り手の体を面ではなく、暗闇の中に輝く線として浮かび上がらせてくれるので、とても綺麗でした(音はちょっとうるさすぎたと思いますが。風のうなりのような音でも、もう少し静かにすると良かったかも)。
 でも、そのあとちゃぶ台から降りて、床で踊る必要があったのでしょうか。床での踊りも、可能な限りで、ちゃぶ台の上でずっと踊ってしまったほうが、もっと印象的だったと思いますし、どうしても床の上で踊らなければ行けないのならば、もっとちゃぶ台の上での踊りの時間を多くして、床での踊りはもっと短くシンプルにしたほうが良かったのではないでしょうか。
 さらに舞台の隅に赤い布を4本ほど垂らしていましたが、その布とのからみで踊る場面も美しかったと思います。これもちゃぶ台のまわりに布を垂らしてやったら良かったかもしれません。
 ただその中で、赤い布に体重をかけて布を途中まで曳き下ろすシーンがあったのですが、この動きは何の意味があったのでしょうか。面白い動きだったのですが。
 全体が3部に分かれていました。ちゃぶ台の上での踊り、床の上での踊り、最後に天井から垂れ下がった赤い布とのからみでの踊り。そして踊りの終結の場面として、床にゆったりと仰向けになって、もう一度大の字になって床に横たわるシーン。それぞれがはっとさせる美しさと、何かをうったえてくるメッセージ性を持っていたと思います。ただそれぞれが余りにばらばらで・・・・・。
 メッセージ性とか、ストーリーとか全てを要らないと言うのならそれもありかもしれませんが、それならダンスに題をつけることも要らないと思うのです。
 そういうわけで、全体としては面白く美しく、人をひきつける要素の強いダンスだったと思いますが、なんか中と半端で、物足りない面がありました。▲ページ先頭へ

 題の「青」という色をどのようにとらえておられるのでしょうか。
 青は世界中どこでも神秘の色です。人類が常にあこがれ、その色彩を再現しようとして長い間できなかった色。青い色を作っても、たった一つの顔料を除いては、すぐに色あせてしまって消えてしまう色。
 長い間(ほぼ永久的)色あせない顔料は、ラピス・ラズリという宝石の粉末だけ。
 人類はこの高価な宝石を使った顔料にかわる安価でかつ色あせしない顔料を求めて長いたびをしてきたほど、青という色は、人類があこがれた色です。(ちなみに長い間あこがれた、退色の少ない顔料は、18世紀のドイツのプロシャで化学合成によって作られた顔料。純粋の青。名づけてプルシャン・ブルー。プロシャのブルー。日本ではなまって「ベロアイ」と呼んでいました。葛飾北斎と安東広重の浮世絵は、このベロアイがあったので出来た芸術です。でもこれも長い間には退色するのです。自然の力には人知ではおよびもつかないのですね)
 日本語の「あお」には、文字通りの「青」以外に「緑色」が含まれます。そして青緑も含まれます。だから「あお」とは、海の色。川の色。草原の色。森の色。そして地球の大気の底である地上から仰ぎ見た宇宙、すなわち空の色です。これらはすべて、命を生み出し命を育んできた自然の色。
 あおには、生命の源・生命の揺り篭というイメージがあると思います。命を生み出す場の色。だから神秘の色なのです。命そのものが神秘なのですから。
 そして女性は命を生み出し育む性です。だから女性も神秘な存在 この青のイメージと女性のイメージを重ねて見ると、一つの強烈なメッセージ。命の誕生そのものを象徴できると思います。(聖母マリア像もたしか青い色の服で描かれたと思います)
 西アジアのオリエントの文明では、大地の神は女神。そして宇宙・天空の神は男神。大地の女神は大地の丸い円盤の上に仰向けに手足を開いて横たわり、天空の神は、その上に覆い被さるように膝をついて、両手で体を支える。これが宇宙の姿だという観念がありました。そしてこれは世界の多くの民族に継承されたイメージです。
お分かりだと思いますが、男女の結合による命の誕生を視覚化したものですね。
 今回のダンスは、この大地と天との結合による命の誕生というイメージにおそろしく重なったイメージのダンスだったのです(どこまでこれを意図されたのか、まったく意図されなかったのかはわかりませんが)。だからここにダンスのイメージを集中させると、もっとインパクトの強い踊りになったと思うのです。
 さきほどの、天井からの赤い布につかまって上体を起こし、布をするするとおろしてくるシーン。僕の脳裏には、日本の伝統的な出産法で、妊婦が天井の梁にくくりつけた赤い縄に渾身の力をこめてぶら下がり、膝で立った姿勢で、赤子を大地の引力の力で産み落とすシーン(写真でしか見たことはありませんが)が重なりました。▲ページ先頭へ

 青という色のイメージと、踊り手が女性であるということとをもっと突き詰めて考えていくと、もっとすっきりとした踊りが出来たように思います。。
(コアラさん)

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