風塵の花 アンケートより

 公演後にいただいたアンケートの中から、御感想の一部を掲載させていただきました。

 細胞の一つ一つが、水分を含んで、ゆっくりと伸びて行くイメージ・・・。コンクリートの壁に、水滴の音が心地良い。と思っていたら、一変してまぶしい照明に、暴力的にも感じられる帽子の羽根の赤。
 前半とは打って変って、機械的で不自然な動き。コントラストがあって、とても面白かった。
花びら色のスカートは、前半、枯れ葉の色にもみえてきれいだった。よく似合ってる。でも、季節柄、水を含んだ緑の衣装も絶対似合うと思う
!!(まりりんさん)

 いちばん大切なところをカットしてしまっていることに気がついてはいないのだろう。―何をやりたいのかという認識が全く中途半端なままなのだ。
 前半、前回公演よりずっと良い”動き”が身体に馴染んできたことの結果、自然な感じがする。腰を―というのは、背中や脇腹の筋肉を、ということだが―積極的に使って、いわば形を造っているのも効果的である。
 ただ、あのような踊りにはある危険性が伴うのだが、それについては今は言及しない。
 長々と”寝踊り”をやった後、立ち上る時に見えてくるもの(こと)があるはずである。”見る”/”見える”と言っても、眼で視ることでも、頭脳で認識することでもなくて、それは身体で(何度も)再発見することなのだ。それこそが いちばん重要な瞬間であると、筆者は思う。
 今回は、中断(暗転)は1回だけであったが(ある意味では、後半、ほかにも中断があったと言うべきなのだが)、その結果として、後半は、ただ”無理をしている”ばかりであった。―しばらくして、下半身を小刻みにけいれんさせた後、ようやく幾らか身体が馴染んできたようであったが、それにしても不十分なものだ。
 後半になって判明することは、やはり”作品を創ろうと”していることだ。が、どのような作品なのか、タイトルを思い起こしてみても、さっぱり解らない。―”中途半端”というのは、この辺りのことだ。
 照明に対しては落第点しか上げられない。やるべきことでやり残していることも一杯あるし、あらゆる意味で、素人の技でしかない。
音響については、作家(ダンサー)の意図が判らないので、批評は控えたい。少なくとも大きな問題はないということだが、筆者は、もっとずっと控え目な方がよかったと思う(時間にして半分くらいは無音でよい)。
(るゐぢさん)

 これは変身譚ですよね。
 井戸の水面に写った月をくみあげているとしてですが、汲みあげているのが、水なのか、が定かではない。水ならば、月を無視すべき、月ならば水を無視すべき、つまり無視が欠けていると思いました。
 なお、終端直後の扉へ向うあなたの後姿は虫ではなく美しい人型でした。 
(Fさん) ▲ページ先頭へ

 途中で感じが変ったのにおどろきました。
 夜道を一人で歩いてて出会ったら恐いなと思いました。
(ベッカムさん)

 非現実的でとても不思議な気分になりました。
 暗い夜道で会ったら、とりあえず全裸になって対抗します。
(Kさん)

 木村由のソロ公演は、今回が初めてです。今までよりもより木村由の動きに集中して見れました。 見せたい世界が明確に感じる事ができ、その世界にすんなり入り込む事が出来ました。 今回の公演の中盤から後半に見せた動きは、舞台、そして木村由自身に与えた新たな実験であり、これからもますます進化していく可能性を感じた。 (Ayumilkyさん)

舞台内容に関しての感想を書いてなかったので送ります。(後日メールをいただきました)
 蟲の公演を観るのは「花の中」以来になる。いつ以来の月日になるのか記憶は定かでないが、その公演での花の中で踊るはなやかな印象がはっきり残っている。 そして今回は「風塵の花」。初めて見る木村由、一人の舞台。
 風塵の意味は様々だが木村由は風塵を舞台円状にたれ下げたレースの中で横たわり、それを表現した。「花の中」で見た生命の誕生とは対照的に生命の終焉、塵を見せてくれた。ここまでは今までの蟲の流れを継続した世界。そして暗転。
 そこに立っていたのはハットを被った私と言う女性。そして、極度の肉体に限界を与える事により、細胞を表現する。
 これまでの木村由とは明らかに違う動き。
 思い出したのはスフィアメックスでの公演の西 里菜子(元・ダンサー)がしていた張って歩いた動き。しいて言えばその動きをさらに削り、悲愴感を漂わせる。

 木村由はこの公演で初めて追い込んだ自分を見せるシチューエーションにした。
 あえてなのか定かではない。
 ただ言えるのはこの舞台によって蟲は、また新たな脱皮を始めたと言う事。
 僕はその勇気を見た。
(Ayumilkyさん)

 10年ぶりかな、由ちゃんの踊りを見させてもらい不思議な感じがした。確実に水の道ができてるんだぁ―と思いました。ひとしずくでも流れている動きが由ちゃんの源なんでしょうか?
 これからも どんどん流れて、開花してねー。由ちゃんのお尻が色っぽーい。私もがんばりまーす。
(ともやんさん)

 衝撃的!!びっくりしました。
 後半、バッて止まってバッて歩いた・・・。あまり今までの由さんらしい感じではないので、驚きました。 でも由さんの言う、”迷いがでて、それでいいと思う”と言っていたとおり、伝わってくる困惑(乱れている感じはなく、いきどおり、と言った方が少しは近いかも)は、案外、納得。 そして解る気がします(あ゛あ゛何ともおかしな言葉)。
(リョーコさん)

 前半の静かなローリングのところ、後半の立ってからの踊り、どちらも「これからどうなるんだろう」という感じをずっと思っていました。今どんな感じなんだろうとか、見る方が見ることにかりたてられてるところが僕のなかにはありまして面白かったです。やはり読めないから見て居て引かれるのではと思います。
 太田君の音と由ちゃんの関係は、まだ近すぎるようにおもいます。由ちゃんの持っている時間の線と平行に沿うのではなく、沿いつつ直角に線を入れて行くような距離感がもっとあるといいとおもいました。

 空間として、後半の照明が変わって、音もふっと沈んだ感じになった瞬間があって、その空気が変わった瞬間、よかったです。
 踊る身体のことで思ったのは、立ってから、「お客さんに対してちゃんと立とう」という意識のうえからかもしれないけれど、胸が一個のかたまりとして出されているような感じがして、もっといろいろ変化があった方がよかったんじゃないかと思いました。
 意識は向けられてあるんだけれど、でも上半身の表情(気配の変化というほうがいいかな)は薄くなってしまったようなそんな気がしました。その辺がもっといろいろなものが見えてくると立ったシーンのところ、踊り手が空間を揺らしながらやってくるような感じとかでてくるかもしれないですね。
(Kさん)

 おもしろかったです。途中から”あらっ?”あの布は、もしかしたら風の吹きだまり?・・・桜の花ビラでできた吹きだまり?虫がだんだん花ビラの中にもぐり込んで包まれて、気が付いたら包み込まれている・・・。
 何だか居ごこち良くて気持ちよさそお〜!
 あっという間の1時間でした。
(Nさん)

 場面によっては、はっとするほど美しいシーンは、いくつかはあった。でも正直言って、今回の踊りは面白くなかった。
 なぜなら、何を表現したいのかが伝わってこないのだから。
 標題の「風塵の花」。この言葉から連想するものと踊りとがほとんど繋がってこない。踊りは標題そのものではなくても、踊りと標題とが相互関係で一つのイメージを作り出していくものだと思う。でも今回の踊りは、これがまったくない。
 個々の動きにはまた、一つの挑戦と言うか、迷いというか、今までと違ったものがあって、また一つ、違う地平を目指しているのではないかということは伝わってくる。
 でも踊りを通じて、僕の体や五感に訴えてくるものがない。
 本当に由さんは、今表現したいことがあるのだろうか。なんか無理やり作品を作っているような気がする。
 踊りも表現である以上、踊る人の内面から発するものがないとできないのだと思う。今回の踊りは標題の言葉が浮いてしまっている。踊っている本人が、何を表現したいのかを明確に持っていないのではないだろうか。
(コアラさん)

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