すきやき アンケートより

 公演後にいただいたアンケートの中から、御感想の一部を掲載させていただきました。

はじめて見させていただきました。
何度か木村さんは拝見したことがありましたが、おだやかなイメージとちがい、人間を少し離れた存在に見えてきました。
ざしきわらしのような、妖怪のような、古いちゃぶだいのようせいのような。
ちゃぶ台の上で、髪に箸をさされていたので、とても女性的だとも思いました。
白い服が、かっぽう着のように見えたり、“母”という存在のようにも見えました。
そして、ぞっとするような、女らしさを見せていただいたと思います。
またぜひ見てみたいです。
ちゃぶ台という空間が、広がってゆくような感じがして、“家族”ということを連想させられました。
(しまゴさん)

ちゃぶ台 我が家にも、母方の祖父母の家にもちゃぶ台がありました。父の家は格式を重んじる家で、ちゃぶ台ではなく一人ずつのお膳だったそうです。それで余計、母の実家のちゃぶ台が気に入って、自分達も手に入れたようです。そして、「人間の生活の原点」とまで言うようになっていました。

昨夜は、我が家の「すき焼き事情」など思い出しながらみせて頂きました。途中ちょっとぐっときたりもしながら。

それと手の薬指。普段はあまり目立たないのに、何かの拍子に自己主張をする。素敵でした。
(Mさん)

 すごい緊張感のある舞台でした。ぐっと引きこまれて見てしまったのですが、終わってみると、かなり肩がこっていて、いろんなことを考えさせられたようです。
 ちゃぶ台の上で踊っているのは人ではなく、何か別のものという感じがしました。どなたかの感想にもありましたが、「座敷わらし」という表現がぴったりのようにも思います。 
 こう感じたのは、今回のダンスは、ちゃぶ台の上に座ってじっと前方を凝視するというモチーフが多かったからだと思います。髪を頭の上に結い上げ、しかもそこに割り箸を刺し、表情を完全に殺して、薄闇の中から前方を凝視する姿。魔物というか妖怪というか。不思議なものでした。
 また踊っている由さんの体が何物かに縛られているというか、1つの動きをやろうとして、中途で止まってしまうことが多々ありました。その止まり方が、無理やり止められてしまったかのような動きで、それが体全体を何物かが縛り上げている。その何物かの縛りから逃れたくてあがいている。ちゃぶ台に象徴される狭い空間の中で、目に見えない何者かの呪縛から逃れようとしている、そんな光景に見えました。
 他の方の感想に「家族を連想した」とありましが、僕も同じです。ちゃぶ台という家族全員でこれを囲んで食事をする場。家族というのは、そういう一体となったイメージがあるのですが、逆に家族とは、もっとも不可解な、個人の自由な行動を縛るものでもあります。一番身近に居ながら、もしかしたら一番自分のことをわかってもらえない、わかりあえることが難しい存在なのかもしれません。いやわかりあうことを、そうなる努力をすることを必要としない、場なのかもしれません。その場に浸ってしまい、それに疑問を持たなければ世界でもっとも居心地のよい癒される場。でもその魔力は大きく、一旦そこから離れて自由に世界を飛びまわろうとすると、その呪縛力は極めておおきい。
 イラクで人質となった日本人に対する非難が巻き起こった時、家族はその人を暖かく包みこむのではなく、世間から浮くことを恐れて、非難の先頭にたって、世間からは自立した自由な行動をしようとしている家族の一員を世間の中に縛ろうと必死に動きました。家族こそ、個人の自由な行動をきつく縛ろうとする世間そのものです。
 でも憔悴しきった家族の一員を見たとき、家族は世間と一体となって非難したことを悔やみ、こんどは家族の一員を暖かく包みこもうとし、包みこまれたものは、そこに浸りきることで、その温もりの中でまた癒され、再び世間から飛び立って行くエネルギーを獲得できる。
 家族ってこういう矛盾した不可思議なもの。
 今回の踊りは、この家族の不可思議な暖かさと呪縛を連想させる、とっても重いものでした。ということはちゃぶ台の上で踊っていたのは、座敷わらしではなく、わたしたち誰の心の中にある「自由に生きたい・思うままに生きたい」という「子供」=妖精なのかもしれませんね。もっとも座敷わらしはそういう意味をもった「子供」の妖怪なので、同じことかもしれませんが。
(コアラさん)

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