ゆめのよ アンケートより

 公演後にいただいたアンケートの中から、御感想の一部を掲載させていただきました。

ちゃぶ台  ダンスを見ながら、僕の脳裏には、ある文句が流れていました。「龍女は仏になりにけり。などか我等もならざらん。五障のくもこそ厚くとも、如来月輪隠されぬものこそありけれ。」という文句。平安時代の教化(きょうげ)というもので、仏教の教えを説くためのもので、節をつけて詠います。お経の節をつけて詠う声明の1種です。
 意味は、女性は成仏できないといわれているけれど、龍の娘が一旦男に変身してから成仏したという法華経が語る物語のように、私たち女性も、阿弥陀如来さまにおすがりすれば成仏できないことがありましょうか、というもの。平安時代後期に詠われた流行歌である今様をそのまま教化にしたもの。生きていくということは、男にとっても女にとっても様々に苦しいものだということを意味し、それでも生きていこうとする気持ちを支える考え方であったのでしょう。
 このような文句が脳裏に流れたのは、ダンスの最初の方の横座りになっての動きが、まるでヒンズーの女神様のようなイメージ、もしくは観音様のイメージだったことと、そのあとのちゃぶ台の上で横たわって手足をまるで虚空をつかむかのように動かす動きが、無限地獄の中でのたうちまわる人々のイメージと重なったからでしょうか。なんとも不思議な雰囲気のダンスでした。
 あの小さなちゃぶ台で、よくこれだけのイメージが作れるものだと思いました。ただちょっと全体に動きが小さくなりすぎたかもしれません。
(コアラさん)

ちゃぶ台が悲鳴をあげてました『ギィギィ!!』って。
しかし、身動き一つしなかったちゃぶ台も立派だ。
  (Sさん)

ちゃぶ台の木の質感、震え、きしみ、ゆるやかに生々しさを感じました。
きしむちゃぶ台の叫びは、産みの苦しみとか、知恵熱とか…
そういう変化、成長していく叫びであるような気がしました。
動かぬちゃぶ台の上で めまぐるしく変化し育っていく小宇宙…
(ななくもさん)

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